2016年の夏の夜、ここから初めてみること。
2016年にも、夏にも、夜にも思い入れはないのだけど、
大人になるにつれ、言葉にして残すことがちょっとだけ億劫になっていて。
大学生の時に、Facebookがあって、Twitterがあって、
何かを感じた時に、何かを思った時に、反射的にすべて言葉にして残してきたのだけど、どうしてだろう最近はしなくなったなぁ。
むしろInstagramとかなんとなく写真と少しだけの言葉を添えれば済むものの方が、
楽になっちゃった。なんとも楽だ。
ビジュアルで残すこともそれはそれで意味があるのだが、
やっぱりシーンの記録はできるのだけど、感情を思い出せないのは、
寂しい。わびしい。
田舎オブ田舎に暮らしていて、右見ながら左見ながら、一旦空を見上げてよくよく考えて飲み込めるものは飲み込んで、結局地面をみながらつぶやくように言葉を落としていた僕にとって、TwitterとかFacebookとかブログとか、なんか自由奔放に言葉を放てるのは、単純に素晴らしいことだったなぁ。
顔色とか感じない世界に、自分の思ったこととか感情とかを整理して、
整えて、発して残すことは、大人になって忘れてしまうことを、
どこかに置いておけることなのです。
というわけで、またプラットフォームを変えて、残すことを、
少ししてみようと思う。
そうそう、大人になることは、まだ楽しい。
不安も不満もあるし、理想と現実?そんな葛藤もなんとなく、
じっとりと、そう今みたいな夏の暑い気温みたいに感じなくもない。
爽やかな敏感さ、感情の機微さは鈍ってきたけど、
でも、大人の感情はもっともっと複雑で、
大人の関係はもっともっと複雑で、
時にめんどくさくて、愛おしくて。
自分の感情だけじゃなくて、
周りのいろんな人、知らない人、
すべてをもっと深く観察できるようになった。
そんな人々を見ていて、なんか溜まってきたものもあるのです。
だからちゃんと、言葉で残したい。
2016年の夏は、とても暑いです。
夜もとても暑いです。まとわりつく空気が重たいです。
独身で、サラリーマンで、東京にいて、バイで。
そんな2016年夏、ブログを始めるのです。